地下鉄の出口を出るや否や、強い陽射しに襲われる。  反射的に天を仰いでしまい、僅かに顔をしかめる。 そういえば、太陽を見るとくしゃみが出るという話が あるが、あれはどこで聞いたのだったか。 「ねえ、お兄ちゃん、早く早くっ」  そんなことを考えていると、腕をくいくいと引っ張 られる。ぼんやりと視線を向ける。と、膨れっ面のひ なたが、急かすように俺を見上げていた。 「しかし暑いな。上着は脱いでくるべきだったかな」 「もーっ、夏だから暑いのはあたりまえだってばっ。 お店に入れば涼しくなるから、早く行こうよっ」  突っ立ったままの俺の腕を引き、しきりに目的地へ の移動を促すひなた。そんな俺たちの横を、きっちり とスーツを纏ったOLたちが、くすくすと笑いながら 通り過ぎていく。彼女たちの目に俺たちは、どのよう に映ったのだろうか。 「…兄妹だよな、やっぱ」  考えるまでもなく結論は出た。  ちはやならともかく、俺とひなたでは、どう考えて も恋人同士には見えないだろう。さしずめ、甘えんぼ の妹と、照れてぶっきらぼうな態度をとる兄貴といっ たところだろうか。 「…お兄ちゃん…お兄ちゃんってば」  ふと気が付くと、ひなたが心配そうな表情で、俺を 見上げている。その頭を軽く撫でながら言う。 「ああ、すまん。行くぞ、ひなた」 「うん!」 「着いたぞ、ひなた」  目的地の、とある外資系のホテルのエントランスに 足を踏み込む。初夏の外気に熱された身体に、ひんや りとした空気が心地よく染み込んでいく。 「へえ…」  俺の手を握ったまま、物珍しそうに周りを見回すひ なた。田舎育ちのため、こうした場所は初めてだろう。  そんなひなたの反応を楽しみながら、ショッピング フロアにある一軒のイタリアブランド店に入る。 「…いらっしゃいませ、来生様」  さっそく、顔なじみの女性店長が声をかけてくる。 が、何故かその営業用の笑顔は微妙に強ばっている。  その原因はすぐに判った。いつの間にか、ひなたが 俺にぴたりと寄り添い、腕を絡ませていた。 「こらこら、離れるんだ、ひなた」 「はーい、お兄ちゃん」  素直に腕を解き、俺から離れるひなた。そんな俺た ちの姿に、ようやく店長の顔に理解の色が浮かぶ。 「ああ、妹さんですね。失礼いたしました」 「失礼したってことは、何か変な想像をしましたね」 「うふふ」  苦笑交じりの俺の追及を、完璧な営業スマイルでか わす店長。この人のことだ。恐らく、俺が変な年下趣 味にでも目覚めたかと思っていたに違いない。 「ねえねえ、お兄ちゃん。服を見ててもいい?」  そんな俺と店長とのやりとりをよそに、店内を好奇 心も露わに見回していたひなたが、しびれを切らして 声をかけてくる。実際、男の俺から見てもセンスの良 い洋服がずらりと並んだこの店内は、年頃の女の子に してみればまさに宝物庫のようなものだろう。 「ああ、好きなものを選んでいいぞ、ひなた」 「わーい。ありがと、お兄ちゃん」  俺の言葉を聞くや否や、嬉しそうな顔で婦人服のコ ーナーに飛んでいくひなた。そして、店員の言葉に一 々うなずきながら、色とりどりの衣装を真剣な表情で 見比べている。  そんなひなたの様子を、奥のソファーに腰を下ろし て眺める。夢中になってあれこれ見定めている姿を見 ていると、普段は子供っぽいひなたもやっぱり女の子 なんだなということを、しみじみと実感させられる。 「どうぞ」  しばらくすると、目の前のローボードにコーヒーの 入ったカップが、すっと置かれた。そのまま俺の前に 座った店長に礼を言い、香ばしい匂いと濃厚な苦味を 味わう。ショッピングフロアの一角にある、美味しい コーヒーを飲ませることで評判の喫茶店からわざわざ 取ってくれたキリマンジャロは、俺の好み通りの深煎 りのブラックだった。 「相変わらず商売がお上手ですね、店長」  純粋な賛辞を口にする。この不況もどこ吹く風で、 洒落た内装で纏められた店内には、まだ早い時間であ るにも関わらず、身形の良い格好の客が数組、上品に ディスプレイされた服を見繕っている。 「あら、ありがとうございます。それにしてもお綺麗 な妹さんですね。お兄ちゃんとしては、さぞ自慢の妹 さんなんでしょうね」  俺の褒め言葉を軽く受け流し、話をひなたのことに 切り替える店長。 「まさか。あいつはまだまだ子供ですよ。可愛い妹で はありますが、綺麗なんて柄じゃありませんよ」 「ふふっ。身近にいると判らないものなのよね」  苦笑いしながら答えた俺に、何故か微妙な笑みを浮 かべながら、意味深なセリフを言う店長。  俺がその言葉の意味を追求しようとしたとき、試着 室の方からひなたの声が聞こえた。 「ねえねえ、お兄ちゃん。背中のチャックが上げられ ないんだけど、ちょっと手伝ってくれないかなあ?」  店内に響き渡るあっけらかんとした声に、他の客の 対応をしていた店員が、慌てて試着室に駆け寄るのが 見える。と、店長が複雑な表情で俺を見ていた。 「…来生様、本当にあの方は妹さんなんですの?」 「ああ、正真正銘の俺の妹です」  妙な誤解をされてはたまらないので、きっぱりと答 える。と、何故か更に複雑な表情になる店長。 「…まあ、兄妹が仲が良いのはいいことですわね」 「…なにか妙な誤解をしてませんか?」  ジト目で睨みつける。  さりげなく目線を逸らす店長。 「あ、ほら、妹さんが来ましたよ。ほらっ、すっごく 綺麗ですよ〜」  店長の言葉に追及の手を緩め、こちらに近づいてく る気配の方に振り向く。 \  瞬間、息が止まった。 \ 「ねえねえ、似合ってるかなあ、お兄ちゃん?」  真紅に黒をあしらった、シンプルながらも華やかな 印象のイブニングドレスを身に纏ったひなた。  その姿は、本当に――綺麗だった。  妙に動悸が高まるのと共に、呼吸が乱れるのが判る。 「はあ…本当によくお似合いですよ。失礼かもしれま せんが、先程とは別人みたいですわ」  本当に驚いたような口調で賛嘆の言葉を口にする店 長。が、その言葉は俺の頭を素通りしていく。 「あはは、褒められちゃった…って、ねえ、お兄ちゃ んってば、聞いてるのかなあ?」  ひなたがぷうと膨れて何か言っているが、耳に入ら ない。俺は、何かに誘われるかのように立ち上がり、 ゆっくりとひなたの元へと歩み寄った。 「えっへん。どうかな、見違えちゃったでしょう」  軽く胸を張るひなたの、一目でそれと判る高級そう な素材で覆われた伸びやかな肢体を眺める。さほど露 出度が高いわけではないが、全体にふわりとした印象 を与えつつ、要所要所では身体のラインをくっきりと 浮かび上がらせるような、そんなデザインのドレス。  おかしい。動悸の高鳴りが止まらない。大人っぽい 格好をしてるとはいえ、相手はひなただぞ。いったい 俺はどうなってしまったんだ。説明がつかない感情の 高ぶりに、隠し切れない戸惑いを感じる。  ふと俺はあることに気付き、そんな困惑を振り払う かのように、すらりとしたひなたの肢体に視線を滑ら せ、あるモノを探す。 「うーん、我ながらせくしーかも。これでお兄ちゃん も、わたしのことを子供扱いなんかできないよね」  ますます胸を張るひなた。  と、俺はその首筋のところに、目当てのモノがある のを見付けた。ゆっくりと手を伸ばし、肩甲骨の上の あたりに宛がう。暖かな体温とスベスベした感触が、 伸ばした指先から心地よく伝わってくる。 「わっ、くすぐったいよ。お兄ちゃん」  僅かに身をくねらせるひなた。そんな反応を無視し、 目的のモノを指先で摘み上げる。そして、より近くで 確認すべく、ひなたの形のいい顎をくいっと持ち上げ、 互いの頬と頬が触れるくらいの距離まで顔を近づける。 「ほえ?」  きょとんとするひなた。俺はそのうなじの下、ちょ うど襟首のあたりを凝視する。  感じられるのは、互いの息遣いだけ。  そして俺は伏せていた顔を上げ、不思議そうに瞬く 黒い瞳を見つめた。その視線を、真っ直ぐに受けとめ るひなた。至近距離で見つめあう俺たち。 「ひなた…」 「何かな、お兄ちゃん?」  俺は、その僅かに濡れた唇を見つめながら、言った。 \ 「いくら何でも、6ケタの値段の物は買ってやれんぞ」 \ 「あはは、やっぱりそうだよね」  屈託のない笑顔を浮かべるひなた。そして、後ろ手 に持っていたもう一枚の洋服を差し出す。 「じゃあ、これならいいよね?」  俺は値札を一瞥した。  安くはないが、まずまず常識的な値段だ。 「ああ、もちろんOKだ」 「じゃあ、こっちに着替えてくるね」  嬉しそうな顔でとてとてと試着室に向かうひなた。 そんなひなたに、軽く手を振る。と、何故か店長が、 妙に疲れきったような表情になっているのに気付いた。 「どうしたんですか?」 「…はあ…、兄妹のスキンシップってことなんだろう けど、どうも見てると紛らわしいって言うか…」  俺の問いかけに気付かぬ様子で 小声でぶつぶつと 呟く店長。そういえば似たような反応をどこかで見た ことがあるような。  …そう、ちはやが俺とひなたがじゃれてるところを 見たときに、時々こんな感じになるな。 「お待たせ、お兄ちゃん」  そんなことを考えていると、早くもひなたが試着室 から戻ってきた。今度の格好は健康的なイメージの、 白にピンクをあしらったワンピース姿だ。 「どう、こっちも似合ってるでしょ」 「ああ、よく似合ってるぞ、ひなた」  今度の格好は、綺麗と言うよりは可愛い印象を受け、 普段のひなたのイメージにぴったりだ。 「じゃあ、これにするね」  わーい、とか言いながら、大きな姿見で何度も自分 の服装を確認するひなた。そんなはしゃぎ声のなか俺 は、イブニングドレス姿のひなたを見たときの得体の 知れない感情の正体について、ぼんやりと考えていた。  あれは何だったんだろう。ひなたは可愛い妹だが、 綺麗だと思ったのはあれが初めてだった。その事実に ある種の衝撃を覚えたのは確かだ。ただ、それだけで は説明のつかない何かが、あのときの感情には含まれ ていたような気がする。それは恐らく…。 「ねえ、お兄ちゃん。どうしたの?」  と、いつの間にかひなたが俺の腕にしがみ付いて、 不思議そうに俺を見上げている。俺は軽く頭を振り、 埒もない思考を頭から追い出す。そう、俺にとってひ なたは可愛い妹だ。それで何も問題はない。 「ああ、何でもないぞ。そうだ、今日はそれを着て帰 るといいんじゃないか?」 「うん、そうする。じゃあ、着てた服を取ってくるね」  そう言うとワンピースの裾をひるがえし、足取りも 軽く試着室へと向かうひなた。そして俺は、まだ自分 の世界に入っている店長に、もう一度声を掛ける。 「店長、ちょっといいですか?」 「…えっ…はいっ、何でしょうか?」  俺の言葉に、素早く完璧な営業スマイルに戻る店長。 「それじゃ、あれを頂きます」  小脇に今まで着ていた服を抱え、元気良くこちらに 手を振っているひなたの方に目線を向けて言う。 「はい、かしこまりました」  何事もなかったかのように、にっこりと笑みを浮か る店長。そして、澄ました表情になって続ける。 「とりあえず先程のドレスも取り置きしときますわ。 そうね…クリスマスくらいまでかしら」  商魂たくましいセリフを、しれっと口にする店長。 「それは勝手ですが、買いに来るかどうかは判りませ んよ。値段も値段ですし」 「大丈夫ですわ。妹さんのあのドレス姿を見たときの 来生様の魂を抜かれたような表情は、しっかり見届け させてもらいましたから」  その光景を思い出したのか、クスっと笑う店長。釣 られて俺も苦笑する。  やれやれ、流石は客商売のプロってことか。判って らっしゃる。クリスマスの夜、ひなたにあのドレスを 手渡す俺の姿が、あたかも確定した出来事であるかの ように脳裏に浮かぶ。 「お待たせっ、お兄ちゃん」  と、そこにタイミング良くひなたが現われ、俺に飛 びついてきた。まとわりついてくるひなたから、今ま で着ていた服を受け取り、店長に手渡す。 「それじゃ、会計をお願いします。あと、今日は着て 帰るつもりなんで、こっちを包んでもらえますか?」 「は〜い、お買い上げ有難うございます」  店長はにこやかにレジを打ち、服を包み始めた。  ひなた、お買い物イベントです。  全画面表示型のVNを想定して、入念な状況説明を心 がけてみたり。そしたらやたらとクドい文章に。  あと、主人公のキャラはなるべく投げやりでクール かつニヒルな感じにしてみました。そしたらますます しつこい文章に。ああ、上手くいかないなあ。  結局、同じシチュなのに、M2氏の倍もの長さになっ てしまいました。果たしてこれはいかがなものなのか。  率直な意見・指摘が欲しい今日この頃です。