外はいい天気だ。  休日の午後らしく、子供のはしゃぐ声や、自転車が 行き来する音などが窓から入ってくる。  その明るさは、今の俺にとっては疎ましいものでし かなかった。  俺はカーテンを閉め、部屋を暗くして、ベッドに横 になる。  眠いわけでも、本当に体調が悪いわけでもない俺は ただベッドの上で悶々とするだけだった。  電話の音。  誰だ、日曜の昼間に電話なんかかけてくるやつは。  きっとちはやあたりが出るだろう、と、俺はベッド から起きあがりもしないで放置する。    少しして、部屋の子機が鳴った。 「……はい」 「あ、兄さん、起きてた? 金満さんから、兄さんに 電話なんだけど」  …金満から俺に?  さっきまで家にいたくせに、一体、なんでわざわざ 電話なんかかけてくるんだ。  俺は、心の中でブツブツ文句を言いながら、電話を 代わった。 「はい、和馬ですが」 「お休みのところすみませんな。よろしければ、少し ご足労願えませんかな?」 \  その持って回った言い方にいらつきを覚えながら、 俺は問い返す。 「…どういうことですか?」 「あなたの大事なかすみに関する話ですよ」  ドキン、と心臓が大きく音を立てる。  まるで、自分の邪な考えを見透かされているような 気がした。 「午後1時に、駅前のシティホテルの喫茶店でお待ち しておりますよ。では」  電話は俺の返事を待たず、一方的に切られた。 \ 「…あら? 出かけるの?」 「うん…」  こっそり抜け出そうと考えていたが、階段を降りた ところで、あっさりとちはやに見つかった。 「体調は? まだ顔色がよくないみたいだけど」  心配そうにちはやが俺のおでこに手を当てる。 「ちょっと熱もあるんじゃない?」 「…平気だよ」  ちはやの手を振り払って、靴を履く。 「ねえ、ひょっとしてさっきの金満さんからの電話… あら、かすみも起きてきちゃったの?」  ぎくりとして、振り返る。  階段の手すりにもたれかかるようにして、かすみが じっと俺を見ていた。 「金満さんからの…電話…?」  かすみは震えるような声で、ちはやのセリフを繰り 返す。 「ええ、兄さんが呼び出されたみたいね。それより、 かすみ、顔色が…」 「電話が、あったんですか…?」  食い入るように俺を見るかすみ。  青ざめた顔。  すがるような目。  俺は…耐えきれずに目をそらした。 「いや、たいしたことじゃないよ。たぶん」 「わ、わたしが行きますっ」 「え?」  ふらついた足取りで、靴を取り出して履きかける。 「ちょっと、かすみ。だめよ、あなたフラフラじゃな いの」 「平気です。お兄様の代わりにわたしが行きます」  冗談じゃない。  それこそこっちが心配しなくちゃならない。 「いや、呼ばれたのは俺だから」 「でもっ…」  今にも泣きだしそうなかすみ。  なにをそんなに心配しているんだろう。 「大丈夫だよ」  俺は微笑んでみせる。  大丈夫。かすみは俺が守ってやる。  すでに俺がその資格を失っていたとしても、あいつ の魔の手からは、絶対に守ってやるから。  心配そうなかすみとちはやの前で、俺は、精一杯の 虚勢をはってみせた。 「せっかくこんないい天気だからさ! 外に出た方が 気分も晴れるってもんだよ! 行ってきます!」  言葉とは裏腹に、陰鬱な気分で俺は歩いていた。  晴れた日曜日の遊歩道。  楽しげに通りすぎる、仲の良さそうな家族連れに、 心の中で悪態をつく。  くそ、見せ付けやがって。  石でも投げてやろうか。  俺は会いたくもないおっさんに会うために、わざわ ざ貴重な休日の午後を潰しているというのに。  心は果てしなく荒んでいく一方だった。  ホテルの喫茶店。  目立つ体型のおかげで、金満はすぐ見つかった。 「やあ、どうですかな、体調の方は」  金満は馴れ馴れしく俺の肩に手を置いた。  …おかげ様で最悪になったよ。  そう言いたいところをぐっと堪えて、笑顔を作る。 「大丈夫です。ちょっと寝違えただけみたいで」 「ふむ。まだあまり顔色は良くないようだが」  だからアンタのせいだよ! さっさとその薄汚い手 を離しやがれ。 「とりあえず、まあ掛けて。何でも好きなものを頼ん で下さいよ。もう昼食は済まされたかな?」  …何が悲しくて、こんなおっさんと二人で飯を食わ にゃならんのだ。  謹んでご辞退申し上げ、さっさと用件を聞くことに する。 \ 「これを、かすみに渡しておいてくれませんかな」  そう言って差し出されたのは、何の変哲もない封筒 だった。 「渡すのをすっかり忘れておりましたのでな」  なぜかすみではなく、俺を呼び出したのか。  その不自然極まりない行為に、俺は妙な作為を感じ 警戒する。 「どうして、かすみ本人を呼ばなかったんです?」  金満はニタリと笑う。 「わしが本人を呼び出したとして、君がかすみを一人 でよこすとも思えませんでな」  そう言われりゃ、確かにその通りだ。  見透かされてるなあ。俺は思わず苦笑した。 \ 「ごめんなさい。別に金満さんを信用してないという わけじゃないですから」 「ふぉふぉふぉ。それだけかすみを大事にしてくれて いるという証拠ですのでな。気にしませんよ」  鷹揚に笑う金満。腹の振動でテーブルの上のグラス が揺れ、俺は慌ててそれらを押える。 「あの…それじゃ僕これで失礼します」  用事も済んだし、さっさと帰ろうと席を立つ。 「和馬君」  金満のぶあつい手が、テーブルに着いた俺の手に重 なった。  ぞわっ。  背筋を悪寒が走る。 \ 「な、なんですかっ?」  無理矢理に笑顔を作りながら、なんとか手を離そう と試みるが、まったく動きそうにない。 「かすみは他に身寄りのない不憫な子です。どうか、 可愛がってやってくださいよ」 「は、はあ」  わかった、わかったから手を離せよ、おっさん!  俺の心の叫びが届いたのか、金満はニタリと笑って 手を離す。 「では、失礼。またお会いしましょう」  金満はそういうと、伝票を持って席を立った。  俺は半ば呆然としたまま、立ち上がって頭を下げ、 金満が店を出るのを見送った。 \ 「はぁ…」  俺は大きく溜息をついて座りなおし、手をつけてい なかったアイスコーヒーに口をつける。  テーブルの上に金満が置いていった封筒があった。  なんとなくそれを手にとってみる。  たいした重さも厚みもない。  振ってみると、カサカサと軽い音がした。  おそらくは紙。  手紙か写真か、何かの書類か。 「…あれ?」  ひっくり返して気付く。  紐で縛って閉じるタイプの封筒だということに。 「……」  いや。  だからといって勝手に見てはいけない。  私文書なのだから。 「……」  だが、俺の指はその紐をくるくると解きにかかる。  いけないことをしている。  心臓がドキドキと高鳴り始める。 「きーすーぎーくんっ!!」 「うわあああああっ!」  心臓が口から飛び出すかと思った。 「おまっ、おまえっ…!」  中沢っ! なんで、ここにいるんだっ! 「なぁんでそんな驚くかなぁ」  中沢はニヤニヤ笑いながら、俺の前に座った。 「で、さっきのオッサン、誰よ?」  身を乗り出すようにして聞いてくる中沢。  興味津々といったところだ。 「誰でもいいだろっ」  俺は慌てて封筒を隣の座席に置いて、気を取りなお そうと煙草を咥える。 「…まさか、援交?」  ぶはっ!  中沢は、俺の口から飛び出した煙草を、余裕で手で受け止める。 「おま、おま、おまえっ…!」 「あーらら、その慌てよう。ひょっとしてビンゴ?」 「そんなわけあるかーーーっ!」  言うに事欠いて、なんて気持ちの悪いことを! 「み、みろっ! 鳥肌がたったじゃないかっ!」 「おー、ほんとだ。来生にはそのケはないのか」 「あたりまえだっ! 俺は普通に女が好きだっ!!」 「そんなことを大声で主張するのも、どうかとは思う けどねー」  はたと気がつくと、回りの席から冷たい視線を浴び ていた。  俺は封筒を引っ掴むと、逃げるようにその喫茶店を 後にした。 「来生ー、待ってくれよー」  うるさいうるさいうるさいっ。  おかげでかかなくてもいい恥をかいてしまった。 「ねーねー、俺あのオッサン知ってるよー」  その言葉に思わず足が止まる。 「……なんだと?」  振り返った俺に、ニカッと笑いかける中沢。