「…来生?」  名前を呼ばれて、笑って答えようとした。  だが、声が出ない。  きっと笑顔も引き攣っていることだろう。  それ以前に、俺は笑えているのか…? 「ほんとに大丈夫? 何か具合が悪そうだけど」 「…いや。大丈夫。俺、そろそろ帰るよ」  地に足がついている気がしないが、なんとかベンチ から立ち上がる。 「あれ? これは?」  背後から中沢の声。  俺は、両手が空いているのに気がつき、慌てて振り 返る。  中沢は金満から渡された封筒を持って、邪気の無い 顔で俺を見ていた。  思わずひったくるように封筒を取り返す。 「なにもそんなに慌てなくても、隠したりしないよ」  中沢が憮然とした表情で言う。 「ごめ…そんなつもりじゃ…」  震えてしまった。声も。指先も。 「やっぱりなんか変だよ? 送っていこうか?」 「いや、いい」  頼むから、もう放っておいてくれ。  心配なんかしてくれなくていい、余計なお世話だ。  口に出しそうになるのを、かろうじて堪えた。  これまで何度もそうやって友達を無くしてきたくせ に、なぜ今に限って俺は弱気なんだろう。  さすがに中沢と目を合わせられず、俺は下を向いた まま、黙って立っていた。 「…ん、わかった。もし何か話したい気分になったら 連絡ちょうだいよ」  中沢はそう言うと、俺の携帯を勝手に取り上げて、 自分の番号をメモリに登録した。 「でも、力になれるかどうかは、わかんないけどね」  ニッと笑って、携帯を差し出す。  そういえば俺、家族以外の番号ってほとんどメモリ に入ってなかったんだよな。  俺は、今更ながら不思議な気持ちで、ディスプレイ に映る見慣れない番号を眺めていた。 「あ、じゃあ俺の番号も…」 「いらない。今見て覚えたから」 「……マジですか」 「記憶力いいのよ、僕。合コンで非常に役立ちます」  自分の頭を指差すようにして笑う。 「…そりゃ有用だな」  俺も少し力が抜けて、苦笑する。  ほんとにこいつだけは、天然なのか、作ってるのか わからない。 「じゃあ、僕も帰るねぇ」 「あ…うん…」  軽い足取りで公園を出て行く中沢。  俺はその背中に小さく呟いてみる。 「……ありがとう」  一旦は家に帰ろうかと思ったが、ちはややかすみに 気遣われることは間違いなく、それを考えると気が重 かった。  俺は溜息をひとつついて、ベンチに座り直す。  手に持った封筒が、風をはらんで、パタパタと音を 立てる。  それをなんとなく日にかざしてみた。  …紙だな。  数枚のポストカード大の紙が、黒い陰になる。 「……」  わざわざ俺に預けるのがいけない。  見てくれと言っているようなものじゃないか。  心の中で言い訳を並べ立てながら、俺はまた封筒を 綴じている紐に指をかける。  クルクルとそれを解いていく。  今度は邪魔するものはいない。  俺は封筒からそれらの紙切れを取り出した。 「……?」  やはり写真だ。  緊張したように顔をこわばらせたかすみが、金満と 一緒に写っている、ごく普通のスナップ写真。  全部で5枚あった写真は、撮られた場所や一緒に 写っている人間が変わっているだけで、なんてことも ないありふれたものだった。  金満以外の被写体は、かすみと同じようにいかにも 使用人然とした服装の人間ばかりで、実際そうなのだ ろうと思われた。 「なんで、これをわざわざ…?」  こんなもの、後で郵送したって良さそうなものだ。  …意図が読めない。  いや。そもそも意図なんかないのかもしれない。  案外、普通にいい人なのかもしれないじゃないか。  だが、さっき中沢から聞いた話は…。  胸の奥に何かつかえたような釈然としない気分で、 俺は写真を元通りに封筒に入れ、紐で綴じた。  なくさないように封筒を足の下に敷いて、しばらく ぼんやりと公園の中を見ていた。  噴水の周りではしゃぐ子供。  それを見ながらおしゃべりに興じる母親。  楽しげに通り過ぎる腕を組んだカップル。  サッカーボールを追いかけている元気な少年たち。  夏めいてきた陽射しの中で、彼らはとても幸せそう に見えた。  自分がとても場違いな所にいるような気がする。  居たたまれないような気持ちになり、俺はそそくさ と公園を立ち去った。 「あ…」  家に着くと、門のところでかすみが立っていた。 「あの…おかえりなさいませ…」 「た、ただいま…」  目を合わせづらくて、俺は足早に玄関に向かう。 「ま、待ってくださいっ!」  その声の差し迫った様子に驚いて足を止める。 「あの…あのっ、大丈夫…ですか…?」 「ん? うん、大丈夫だけど」 「そう…ですか…」  ほっとしたように息をつく、かすみ。 「あ、そうだ、これ」  俺は金満に預かった写真をかすみに渡した。 「金満さんがかすみに渡してくれって」 「え…?」  かすみの身体がびくっと震えた。 「じゃ、確かに渡したよ」  俺はそう言って、その場を離れようとした。  が。  かすみの指先が、俺のシャツの裾を掴んでいた。 「…どうしたの?」 「あ…あの…これ…ご覧になりました…か…?」  ぎくりとした。  思わず勝手に見てしまったことを、責められている ような気がした。  どうしよう。正直に言うべきだろうか。 「…ごめん、実は気になって見ちゃったんだ」  かすみの肩がまたびくんと震えた。 「もし、かすみに嫌な思いをさせるような物だったら そのまま処分しようと思ってさ。でも、普通の写真 だったよ」  かすみの手から封筒を取って、中身を取り出す。 「ほら。ね?」  かすみは震える手でそれを受け取り、食い入るよう に見つめていた。  何の変哲もない、ありふれたスナップ写真。  なのにかすみの指先は震えたままで、顔も心なしか 青ざめていた。 「…かすみ? 勝手に見たことは謝るよ、ごめん」 「いえ、あの……なにか…言ってましたか…?」 「え?」  かすみの手から写真が滑り落ちて、芝生の上にばら 撒かれる。 「あ、あのひと…わたしのこと…なにか…言ってまし たか…?」 「かすみ…?」  顔を上げたかすみの目は、今にも涙がこぼれ落ちそ うになっていた。 「特に何も…。あ、かすみをよろしくとか、そういう ことなら聞いたけど」 「そう…ですか…」  …明らかに様子が変だ。  やっぱりかすみは、金満に何か弱みでも握られてい るのか? 「かすみ。何か気にかかることでもあるのか?」 「あ…いえ。なんでもないんです」  慌てたように首を振り、笑顔を作る。  そんな言葉で納得できるような態度じゃなかった。 「かすみ」  俺はかすみの肩に手を置いて、なるべく問い詰める ような態度にならないよう、気をつけて聞いた。 「何か困っているんなら、いつでも相談してくれよ」 「……」  かすみは困惑したような顔でまたうつむく。 「なあ、俺はかすみの兄貴だろ? そんなには頼りに ならないかもしれないけど、かすみのためならできる ことは何でもしてやりたいって本気で思ってるよ」 「……」